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Posted by 滋賀咲くブログ at

2017年08月20日

オルセー美術館至宝のリマスターアート展☆大丸ミュージアム京都


京都四条の大丸ミュージアムでオルセー美術館の至宝のリマスターアート展を観てきました。


芸術の都パリに、1986年オルセー駅の駅舎を再利用して開館したオルセー美術館。セーヌ川を挟んで、世界三大美術館であるルーブル美術館の対岸に位置するこの美術館では、19世紀中頃から、第一次世界大戦以前までのフランス美術を中心とする多彩な作品が展示され、特にその中でも印象派コレクションは世界的な評価を得ています。本展では世界最先端の技術を用いて、オルセー美術館の代表作品を復元したリマスターアートでその真価に迫るものです。
(パンフより)、

写真OKです。


まずはマネ
「笛を吹く少年」(1866年)
エドワール・マネ【Edouard Manet】(1832-1883)
油彩 160 x 98 cm;オルセー美術館蔵

日本の浮世絵の影響で画面が単純化されて似絵のように見える。フランス近衛軍鼓笛隊のマスコット的少年を描いたとされる。一説には、顔の部分のみ息子レオン(レオン・コエラ)(1852年1月28日 - 1927年)に似せたと言われている。(Wikipediaより)




「オランピア」(1863年)
エドワール・マネ【Edouard Manet】(1832-1883)
油彩 130.5 x 190 cm;オルセー美術館蔵

マネはこの作品を1865年のサロン(官展)に出品し、作品自体は入選したが、『草上の昼食』と同様に「現実の裸体の女性」を描いた事が批判された。その理由として、『オランピア』という名が当時の娼婦の通称であったこと、花束を持った黒人の女性が裸体の女性の召使として描かれていること、当作品でベッドに横たわっている裸体の女性はサンダルと首に巻いたひもを身につけているが、このような表現は当時主流のアカデミック絵画において考えられていた神話や歴史上の出来事を描いた絵画に登場する裸体の女性とは異なっており、裸体の女性が当時の娼婦を表している事が明らかであった事が批判の対象となった。
(Wikipediaより)




「泉」(1820年)
ドミニク・アンクル(1820-1856)
油彩 163 x 80 cm;オルセー美術館蔵

アングルはフィレンツェ時代の1820年頃にこの作品の制作を開始したが、完成させたのは1856年彼が76歳の時で、すでにその名声は知れ渡っており、エコール・デ・ボザールの学長を務めていた。 壺を持った女性像のイメージはジャン・グージョンによるイノサン噴水のレリーフ彫刻、あるいはシュリー館のレリーフ彫刻に由来すると考えられている。裸婦像のポーズはアングルの別作品『ヴィーナスの誕生』(1848年)[6]や、『クニドスのアプロディーテー』(別名『恥じらいのヴィーナス』)としばしば比較される。(Wikipediaより)





「落穂ひろい」(1857年)
フラソワ・ミレ―(1814-1875)
油彩 83.5 x 110 cm;オルセー美術館蔵

農村の貧しい人々の姿を描いただけでなく、『旧約聖書』の「ルツ記」に基づいた作品である。1849年6月にパリの政治的混乱やコレラを避けて、当時芸術家たちの集まっていたバルビゾン村に疎開したミレーが描いた農民画のひとつ。




「晩鐘」(1857年)
フラソワ・ミレ―(1814-1875)
油彩 55.5 x 66 cm;オルセー美術館蔵

バルビゾンの馬鈴薯畑で農作業をする夫婦が、教会から聞こえる夕刻のアンジェラスの鐘に合わせて祈りを捧げている。




ピエール=オーギュスト・ルノワール(フランス1841~1919)
浴女たち(ニンフ) (Les baigneuses) 1918-1919年
110×160cm | 油彩・画布 | オルセー美術館蔵

印象派の巨匠ピエール=オーギュスト・ルノワールが最晩年に手がけた傑作『浴女たち(ニンフ)』。ルノワールが死去する前年に手がけられた、画家の絶筆でもある本作は、ロシア系のモデルで、息子ジャンの最初の妻となるアンドレ・ヘスリング(通称デデ)をモデルに複数体の裸婦像を描いた作品




「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」 1876年
131×175cm | 油彩・キャンバス | オルセー美術館蔵

1877年の第3回印象派展に出品された作品でもある。題名のムーラン・ド・ラ・ギャレットは、パリのモンマルトルにあるダンスホールの名。
画中の人物たちは、彼の友人たちがモデルになっている。

当時、ルノワールはこのダンスホールの近くに住んでおり、アトリエから通いながら制作していた。だが、縦131センチ、横175センチもあるこの作品を持ち運ぶことは困難で、傷つくおそれもあるため、ダンスホールには半分ほどのサイズのキャンヴァスを持って行った。
そして、現場で描いた小さい方の絵を持ち帰り、これをもとにして、アトリエでは大きい方の絵を描いた。。(Wikipediaより)





オーギュスト・ルノワール  「ピアノを弾く二人の少女」 1892年
116x90cm 油彩カンヴァス オルセー美術館蔵


つづく













Posted by hide at 15:40 Comments(0)美術展

2017年08月18日

ボイスマン美術館所蔵・ブリューゲル「バベルの塔展」Ⅱ




ボスのように描く

ブリューゲルもボスの絵画に影響を受けた一人

ブリューゲルの版画

ピーテル・ブリューゲル1世 「大きな魚は小さな魚を食う」(1557年)

バベルの塔です。

バベルの塔は2枚存在する!

1つはウィーン美術史美術館所蔵の「大バベル」、

ピーテル・ブリューゲル1世「バベルの塔」(1563年)
(ウィーン版)
※今回の展覧会には来日していません

もう1つは今回来日しているボイマンス=ファン・ブーニンゲン美術館所蔵の「小バベル」です。

ピーテル・ブリューゲル1世「バベルの塔」(1568年
(ロッテルダム版)

24年ぶりにロッテルダム版が来日

このブースだけは待ち時間が生じていました。hideは後ろから拝見させて戴きました。

本物の絵より東京芸大の拡大複製がゆっくり見られました。絵に描かれている人の大きさから塔の高さを逆算すると510mになるようです。

昔、人々が天まで届く塔を建設しようとしました。しかし、その野心が神の怒りを
買い、互いの言葉をばらばらの言語にされてします。
意思疎通が出来なくなった人々は散っていき、ついに塔は完成しなかった。

旧約聖書に出てくる「バベルの塔」の物語を、ピーテル・ブリューゲル1世は、
壮大なスケールの構図と細部の緻密な描写を見事に描いて見せました。
                                      (パンフより)











Posted by hide at 19:45 Comments(0)美術展

2017年08月16日

ボイスマン美術館所蔵・ブリューゲル「バベルの塔展」☆国立国際美術館



久しぶりのUPです。

大阪中之島の国立国際美術館へ・「バベルの塔展」を観てきました。


美術館の入り口の地面に大きなポスター


展覧会の会場は地下3階です。

お盆休みでしたので、館内は比較的すいていました。冷房も効いて快適です。

展示のプロローグ 16世紀ネーデルランドの彫刻(HPより)
15世紀からの宗教絵画や彫刻が展示。



信仰に寄せて
ホランド地方の美術
新たな課題へ
寄贈の画家ヒエロニムス・ボス

いよいよボスの登場です。

ボスの作品1点目は「放浪者(行商人)」(1500年頃)です。左の建物は娼館です。それに未練を残しつつ旅立つ旅人を描いています。


珍しく宗教画や歴史上の偉人ではなく、日常の姿を描いています。(絵葉書から)

ボスの作品2点目は「聖クリストフォロス」(1500年頃)です。


「クリストフォロス」とは「キリストを背負う者」という意味で、背負われている子供はキリストです。
この2点が初来日です。

つづく










Posted by hide at 20:56 Comments(0)美術展

2017年06月02日

ミュシャ展☆国立新美術館





六本木の国立新美術館にミュシャ展を観てきました。

知人から、混雑していますよ!と報告を受けていましたので、平日ですが、朝一で参りました。

開館30分前に美術館に着きましたら、チケット売り場には100人以上の行列です。
キャンパスメンバーのチケットは美術館以外では買えませんので、並びました。
10時前にはチケットをゲット。美術館に入り、会場には15分程度並びましたので10時過ぎには、会場内に入る事が出来ました。

ミュシャ展に期待して来た甲斐がありました。それはミュシャが後半生をかけて制作した超大作「スラブ叙事詩」全20点が来日し、日本で初公開されたからです。しかも、「スラヴ叙事詩」がチェコの国外に出たことはこれまで一度もなく、チェコ国外で世界初公開となる貴重な機会だからです。

館内の様子です。



アルフォンス・ミュシャは1860年にチェコに生まれました。絵の勉強をしたのは意外にも遅く、19歳を過ぎてからでした。ウィーンやミュンヘンで数年間絵画の基礎を勉強した後、27歳で単身パリに渡ります。34歳の時に女優サラ・ベルナール主演の正月公演「ジスモンダ」の演劇ポスターを手がけ、1895年1月1日にパリ中で掲示されると、物凄い反響を受けて、ミュシャは一躍時の人となりました。

伝説のポスター

                               (Wikipediaより)

華やかな花と女性をモチーフに、日本の琳派に通じる優美で装飾的な作風で知られ、19世紀末期のフランスで隆盛した「アール・ヌーヴォー」を象徴する作家になっていきました。

ミュシャは故郷チェコや自身のルーツであるスラヴ民族のアイデンティティをテーマにした作品を数多く描きました。その集大成が、50歳で故郷に戻り、晩年の約16年間を捧げた画家渾身の作品《スラヴ叙事詩》(1912-26年)です。(公式HPより)

「原故郷のスラブ民族」6m×8mの大作です



会場内は一部写真撮影可です。




人と比較して頂ければ作品の大きさが想像していただけるでしょう。



会場内は混雑していましたが、作品が大きいためにゆっくり鑑賞できました。細部を見るには少々時間がかかります。

スラブ民族の歴史を描いた全20点の大作「スラブ抒情詩」を見て、彼が描きたかったのは魂の叫びだと感じました。
民族とは?我が国のように単一民族では理解は難しいでしょうね?
またりリトグラフ等は堺市アルフォンス・ミュシャ館で見ることが出来ますので・・・(現在工事休館中6月中)

今回は十二分に観た甲斐がありました。チャンスがれば是非ご覧ください。会期は6月5日まで










Posted by hide at 18:44 Comments(0)美術展

2017年05月31日

「花*Flower*華」☆山種美術館


今年3月から2か月しか経っていないのに再度東京の美術館に行って来ました。

山種美術館の素敵なコレクションの日本画を観てきました。
山種美術館といえば、18世紀の江戸琳派以降、明治~昭和の近代・現代日本画のコレクションで有名です。

春夏秋冬の中でさまざまな表情をみせる自然の姿は、古くから日本人の心を魅了してきました。とりわけ、四季折々に咲き誇る花は、その美しさとともに、詩歌や文学と結びつきながら季節を象徴するモティーフとしても愛好され、現代にいたるまで描き継がれています。その表現には、単独の花、鳥や昆虫との組み合わせ、四季の花を一画面に描く構成など、個性豊かなバリエーションが生み出されました。江戸時代、琳派の絵師たちは、特に季節の草花や花木を多く題材としました。(公式ホームページより)

金屏風!/鈴木其一「四季花鳥図」

が、我々を迎えて下さいました。(公式HPより)

琳派の絵師が描いた花の魅力・酒井抱一、鈴木其一

鈴木其一「牡丹図」(公式HPより)



酒井抱一《菊小禽図》



日本画の横山大観、小林古径、奥村土牛、加山又造、洋画の梅原龍三郎、

奥村土牛《醍醐》


山種美術館で嬉しいことは、必ず写真コーナーがございます。

今回も


今回撮影がOKなのは、酒井抱一「月梅図」。酒井抱一作品の中で代表的な作品です。

画像はございませんが、現在活躍中の千住博の「夜桜」とても印象に残っていました。
展示作品数は60点でしたが充実した展覧会でした。有り難う・・・




Posted by hide at 19:40 Comments(0)美術展
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