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Posted by 滋賀咲くブログ at

2017年09月30日

お花のプレゼント



こんな素敵な可愛いお花を頂戴しました。

丁度、朗読サークル「ひだまりの会」の発表会に来て下さった、近江八幡のYさんのプレゼントです。

発表会の様子はこちらです。

可憐なこんなのも一緒に


楽しい思い出になりました。有り難うございます。




Posted by hide at 11:31 Comments(0)イベント案内

2016年06月06日

耳なし芳一 風月堂朗読サロン



神戸元町の風月堂本店の風月堂ホールで朗読サロンが開かれています。
先日、この朗読サロンにお誘いを受け行って来ました。

JR元町駅からすぐの元町商店街の中にある風月堂本店



この地階のホールです。

出演は
      
      青木裕子  『朗読』 元NHKアナウンサー、軽井沢朗読館・館長
   
      坂田明    『朗読/サックス、クラリネット、バスクラリネット』

      よしむら欅  『パーカッション』

今から七百年あまり前、下関海峡の壇ノ浦で、平家と源氏の間で長きに渡る抗争の最後の合戦が戦われた。そこで平家は女も子供も──今では安徳天皇という名で記憶される──幼い帝もことごとく滅び去った。
そして七百年このかた、その海と岸辺では怪異が起きている・・・という書き出しで始まる「小泉八雲」の怪談です。

怪談をどのように表現されるのか?非常に興味がありましたが、坂田明のサックスの演奏で恐怖感は小さくなったように感じました。
ただ、、よしむら欅の擬音を使った効果は非常に良かったように思いました。

単純に読めば30分強だと思いますが、音楽と効果音の挿入で一時間半の演出は楽しませて戴きました。
おわりに青木裕子が、今回の出しものは、初めての事だと仰っていました。

風月堂ミュージアム


タイムオーバーで閉館になっていました。

またまた、小旅行の、素敵な朗読の一日でした。


Posted by hide at 16:12 Comments(0)イベント案内

2016年02月01日

東福寺三門特別公開


後期の期末試験が終わりましたので、京都に出かけてきました。
京の非公開文化財の特別公開です。
50年余り前に住んでいました、東福寺です。

東福寺に向かう道筋は変わりませんが


秋のモミジの季節にはにぎわうモミジの通天橋


特別公開の看板


この国宝三門です。名称「妙雲閣」


ガイドさんの説明によると、飛鳥・奈良時代に建立された初期の寺院は、都の平坦地に建てられました。 これが、平安時代になると、比叡山や高野山などの山岳地帯に寺院が建てられてるようになりました。 それにともなって、寺院に「○○山」という山号がつけられ、寺院の門も「山門」と呼ばれるようになったのですが、禅宗寺院などでは「山門」の字を使わず、「三門」と書きます。
 これは、「三解脱門」の略で、迷いから解放されるための三つの道を門に例えたもので、寺院の正門を云います。 三つの道とは空・無相・無願で、雑念を払って、物事にとらわれないことを意味します。 そこから三門は柱が6本、五間三戸(柱の間が五つで、入り口が三つ)に造るのが基本です
再三火災にあいましたが、応永32年(1425年)に足利義持が再建し、現存する禅寺の三門としては日本最古のものです。上層に釈迦如来と十六羅漢を安置する折衷様の五間三戸二重門である「二重門」は2階建ての門だが、「楼門」と違い、1階と2階の境目にも軒の出を作るもの)。
 この三門は、昭和27年に国宝建造物に指定され、棟高は22メートル」大仏様式を用いた入母屋造りで禅宗三門としては最古、最大、最游と言われています。

正面宝冠釈迦如来像及び16羅漢像は室町時代初期の作と伝えられています。

パンフより

天井や、壁面には、優れた肖像画や仏画を残した画僧「明兆らによる極彩色の飛龍や飛天が描かれ荘厳な空間が広がっています。

三門の四隅に屋根を支える補強のために備えられて柱は、秀吉が修理を行ったときにつけたもので「太閤柱」と呼ばれています。


お天気も良く楼上からは京都市内が一望でき、素敵な景色を堪能してきました。尚、この三門公開は1月31日で終わりです。




Posted by hide at 14:39 Comments(0)イベント案内

2015年10月10日

無鄰菴



全国の大学生の皆さん大注目!!京都の文化施設が無料で入れます♪~10月9日から12日まで,二条城など京都の24文化施設の入場が無料となります!~

京都市の平成27年度Student Daysの実施で京都の文化施設が無料で入れますので、無鄰菴に行って来ました。

無鄰菴HPより

庭園入口


ここから入ると

母屋の横を通って庭園に出ます。

無鄰菴は,明治27年(1894)から明治29年(1896)にかけて明治・大正の元老である山県有朋(やまがた ありとも)が京都に造営した別荘です。その名は,有朋が長州(山口県)に建てた草庵が隣家のない閑静な場所であったことから名付けられたといいます。

その広い庭園は、有朋自ら設計・監督し造園家・小川冶兵衛(7代目)が作庭。傾斜面に東山を借景、疏水の水を取り入れて行け、芝生を配した池泉回遊式庭園。建物は木造2階建ての母屋、薮内流燕庵を模した茶室、とレンガ造りの2階建て洋館があります。

 有朋はこの別荘の庭園をこよなく愛し,多忙な公的生活の合間にも夫人を伴ってしばしば訪れましたが,その後大正11年(1922)に83歳でこの世を去っています。(パンフより)

母屋からの絶景







苔むした庭園


木立から茶室を望む


母屋を望む



御池には・・・


のんびりとした時間を楽しんでまいりました。有難う




Posted by hide at 17:20 Comments(0)イベント案内

2015年06月23日

六月花形歌舞伎



久しぶりにお芝居を観て来ました。

 大阪松竹座の六月歌舞伎です。今人気絶頂の片岡愛之助が主演です。




戴いたお席は2階席の通路横です。

あらすじ、近江国三上山の大百足を退治するよう勅命を受けた俵藤太秀郷。
突如現れた琵琶湖の守り雨宝童子に宝剣竜神丸を授けられ、見事大百足を退治するのでした。
おなじ時、琵琶湖の中では、鯉王の息子金鯉が龍に変じることとなり、門出を祝う祝宴が催されていました。
しかし、琵琶湖に流れ込んだ大百足の毒血が、金鯉の身を汚してしまい、登龍の望みを絶たれてしまいます。これを恨んだ鯉王は末代まで俵家を祟ると誓うのでした。

 490年後に時は移り、俵家の末裔釣家では、お家乗っ取りの陰謀が・・・・・、
釣家息女小桜姫は清水寺で出会った滝窓志賀之助に一目ぼれ。宝剣竜神丸の威徳によりこの志賀之助が釣家滅亡を企てる鯉の化身であることが露見。そこへ真の志賀之助が現れ、事の次第で琵琶湖へ鯉退治へ出かけるのでした。

 通称「鯉つかみ」と呼ばれるこの作品は、主人公が本性を現した、鯉の精と闘う場面が見せ場です。
この鯉退治の場面では本水をも用いた舞台で繰り広げる大立ち回りとなります。(パンフの解説より)

大暴れする鯉の尾っぽや口から、主人公(片岡愛之助扮する)が動き回る際にほとばしる水しぶきが涼感溢れる趣向です。
客席に向かって、わざと水をまいているようにも見えました。もちろん客席のお客様は、雨合羽をかぶっていらっしゃいます。
また、愛之助の立ち回りや、様々な仕掛け、早変わり(12役)が見所です。



2幕目に、愛之助が二階席から登場する場面があり、hideの座席の横で大見得を切っていました。前の席にいらっしゃった女性のお客さんは、黄色い声を一杯発生されていました。愛之助もアイコンタクトを忘れませんでしたよ。

日曜日と言う事もあってか、劇場は満席でした。やはり、女性が8割から9割ほど。
男性はちらほらしか見えません。

素敵な素晴らしい歌舞伎を、久しぶりに見せて戴いた「父の日」でした。






Posted by hide at 20:47 Comments(0)イベント案内
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